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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)12813号 判決

原告 松井豊彦

右訴訟代理人弁護士 揚野一夫

同 玉浦庄太郎

右訴訟復代理人弁護士 関根和夫

被告 株式会社水上観光ホテル

右代表者代表取締役 山田恭弘

右訴訟代理人弁護士 中村敏夫

同 山近道宣

同 溝淵照信

主文

被告は、原告に対し、金九一万円及びこれに対する昭和四四年八月二七日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴部分に限り、原告が金三〇万円の担保をたてたときは、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、被告は、原告に対し、金一八二万円及びこれに対する昭和四四年八月二七日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因を次のとおり述べた。

一  被告会社は、水上温泉で「水上観光ホテル」(以下「被告ホテル」という。)を営む場屋営業者であり、原告は、昭和四四年六月二日午後七時頃、訴外園部邦治及び訴外遠藤政彦(以下「遠藤」という。)とともに被告ホテルに投宿した者である。

二(一)  原告は、右投宿直後、被告ホテル備付の貴重品袋に金一八二万円(一万円の日本銀行券一八二枚)を入れて帳場に持参し、同所において、被告ホテル従業員小林福美、同小林はな子は、これを原告のために保管することを約して受取り、もって、原被告間に、右金一八二万円の日本銀行券を包有する貴重品袋につき寄託契約が成立した(以下「本件寄託契約」という。)。

(二)  本件寄託契約締結の際、原告は、右従業員両名に対し、右貴重品袋(以下「本件貴重品袋」という。)の中味は現金一八二万円であることを明告した。

(三)  同日午後一〇時三〇分頃、被告ホテル従業員池田嘉秀(以下「池田」という。)は、本件貴重品袋を遠藤に交付し同人はこれを所持して逃亡したため、被告会社は、その履行補助者である池田の右行為により、本件貴重品袋を原告に返還することが不能になり、その結果、原告は、金一八二万円の損害を蒙った。

三(一)  仮に被告会社が右履行不能による責任を負わないとしても、被告会社は、池田が本件貴重品袋を遠藤に詐取されたため原告にこれを返還しえず原告に金一八二万円の損害を与えた不法行為について、使用者としての責任を負う。

(二)  即ち、本件寄託契約締結の際、前記小林福美及び小林はな子は、原告に対し、本件貴重品袋に対応する貴重品袋引換証(以下「本件引換証」という。)を交付し、かつ、少くとも、本件貴重品袋の厚みから中味が大金であることは容易に知りえたのであるから、本件引換証を所持しない者に本件貴重品袋を交付する際には、その者の権利を証明させるべきであるのにかかわらず、池田は、遠藤がその受領の権限を証明せず、本件引換証を呈示しないで池田に対し「私は幹事だが、松井さんの貴重品袋引換証は風呂場で紛失した。番号は控えておいた。」「支払をしなければならぬ人が玄関に来ているから、貴重品袋を返してくれ。」等言ったのを真実である旨軽信し、遠藤の右権限を確認しないまま本件貴重品袋を詐取されたもので詐取されたことについて過失があった。

四  よって、原告は被告会社に対し、右寄託物返還の履行不能又はその使用人である池田の不法行為により蒙った損害金一八二万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日(不法行為については、損害発生の日の後)である昭和四四年八月二七日から完済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告会社訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、

請求の原因第一項の事実は認める。

請求の原因第二項(一)のうち、原告が本件貴重品袋(但し、その内容については、不知)を原告主張の頃帳場に持参して被告ホテルに預けたことは認めるが、本件寄託契約の成立は否認し、その余の事実は知らない。原告主張の寄託行為は、原被告間の宿泊契約の内容となるものである。同項(二)の事実については否認する。同項(三)のうち、池田が原告主張の頃本件貴重品袋を遠藤に交付したことは認めるが、返還不能が池田の行為によるとの点は否認し、原告の損害については、知らない。

請求の原因第三項(一)については、争い、同項(二)のうち、中味が大金であることを容易に知りえたとの点、権利の確認が不十分であったとの点及び池田に過失があったとの点は否認する。宿泊客が貴重品袋に手帳などを入れる場合が頻繁にあるから、単に貴重品袋が厚いからといって、中味が大金であることを容易に知りうるとはいえない。又、池田は、遠藤が原告らの投宿についての幹事であることを確認したうえ、遠藤から引換証番号と預け人名義を聞いて、これと本件貴重品袋の番号及び名義とを照合したもので、権利の確認は十分に行なった。

請求の原因第四項については、争う。

と述べ、さらに、抗弁として次のように述べた。

一(一)  仮に請求の原因第二項(一)から(三)までの事実がすべて認められるとしても、次に述べるように、原告は、遠藤に対し本件貴重品袋受領の代理権を授与し、又はこれと同一の責任を負うべきであるから、池田が遠藤に本件貴重品袋を交付したことによって、被告会社は寄託物返還債務の履行を終ったもので、履行不能にはならない。即ち、

(二)1  原告ら三名の被告ホテルへの宿泊の予約を電話で行い来館後フロントで宿泊料、飲物、芸妓の手配等を交渉し依頼したのは、遠藤であり、宿帳にも遠藤のみが氏名を記載し原告らについては単に「他二名」と記載された。

2  右事実からうかがえるように、原告と被告ホテルとの間の宿泊契約の締結については、原告は遠藤に代理権を授与した。

3  ところで、宿泊に際しての金品寄託行為は、宿泊契約とは全く無関係の、またはこれと別個独立の契約ではなく、宿泊と同時または宿泊に際してなされるが故に、一個の契約に宿泊契約の要素と寄託契約の要素が含まれると解すべきである。

4  したがって、遠藤が原告から授与された右代理権には寄託物返還請求ないし受領の権限も含まれ、遠藤は本件貴重品袋の受領について代理権を有していた。

5  仮に、原告が遠藤に授与した前記2の代理権が寄託物返還請求ないし受領の代理権を含まないとしても、原告は、本件貴重品袋を被告ホテルに預けた後、その預け人名義と本件引換証の番号を遠藤に教え、もって同人に対し本件貴重品袋受領の代理権を授与した。

(三)  仮に遠藤が本件貴重品袋受領の代理権を有しなかったとしても、前記のように、原告は遠藤に対し宿泊契約締結の代理権を授与したところ、池田としては、前記のように遠藤が預け人名義と引換証番号を知っていたことでもあり、又、一般に金品寄託行為が宿泊契約と密接な関係を有するところから、遠藤が本件貴重品袋を受領する権限があると信ずべき正当な理由があったと認めるのが相当であり、権限踰越による表見代理が成立する。

二  仮に被告が履行不能又は不法行為(使用者責任)の責任を負うとしても、原告にも、履行不能につき次の(二)及び(三)の、又、不法行為につき次の(一)から(三)までの過失があったから、過失相殺されるべきである。即ち、

(一)  原告自らも被告ホテル従業員に特別の注意を払わせるよう高価品の明告をすべきであるのにこれを怠り、明告しなかった。

(二)  原告は、本件引換証の番号を遠藤に知らせないことによって事故の発生を防止すべきであったのに、これを怠り、右番号を遠藤に知らせた。

(三)  原告は、被告ホテル従業員が、遠藤は本件貴重品袋受領の代理権を有していると誤信しないように、自ら宿泊契約を締結しかつ宿帳に自ら氏名を記載する等すべきであったのに、これを怠り、遠藤を代理人として宿泊契約を締結した。

原告訴訟代理人は、

抗弁第一項(一)については争う。同項(二)1の事実は認め、同2の事実は否認し、同3については争う。旅館宿泊契約と金品寄託契約は、それぞれ別個独立の契約である。同4及び同5の事実については否認する。同項(三)のうち権限ありと信ずべき正当な理由があったとの点は否認する。

抗弁第二項の事実については、否認する。

と述べた。

証拠≪省略≫

理由

一(一)  請求の原因第一項の事実及び原告らの宿泊にあたっては遠藤がその予約を行い、宿帳にも同人が自己の氏名を記載し原告らについては原告らに代って「他二名」とのみ記載し、さらに遠藤は飲物や芸妓の手配などを行なった事実については、当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すれば、原告は、被告ホテルに到着し客室に案内された直後、同所において、持参していた金一八二万円(一万円の日本銀行券一〇〇枚の束と八二枚入りの封筒)を、被告ホテルに備付けられてあった貴重品袋に入れて封をした事実が認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

(三)  ≪証拠省略≫を総合すれば、右のように原告が金一八二万円を貴重品袋に封入した際、遠藤は同様の貴重品袋に自己の金員を入れて客室で被告ホテル従業員小林はな子に預けたが、原告は、自己の腕時計を入れた同様の貴重品袋と右金一八二万円入りの本件貴重品袋を直接帳場に持参して右小林はな子に預け、同人は、被告ホテルがその保管をすることを約して、本件引換証を原告に交付した事実が認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

(四)  ≪証拠省略≫を総合すれば、遠藤は、原告が右金一八二万円を封入した際、本件貴重品袋に予め記入されていた番号(〇〇五三七三)を覚え、これをメモ用紙に記載し保管していた事実が認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

(五)  原告主張の原告が本件貴重品袋を預けるに際し中味が現金一八二万円であることを明告した事実については、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。

なお、この点について、原告は、中味は現金であることを小林はな子に告げた旨述べるが、≪証拠省略≫に照らすと、少なくとも原告は同女に聞き取りうる程度に明瞭に右のことを告げたとは認め難い。

(六)  ≪証拠省略≫を総合すれば、原告らが被告ホテルに投宿した昭和四四年六月二日の午後一〇時頃、遠藤が被告ホテル従業員に自己の貴重品袋の返還を申し出、応待にあたった被告ホテル従業員池田嘉秀は、正規の時間外であることを理由に一旦断ったが、遠藤が緊急に必要だと主張したため返還することにしたところ、遠藤は、本件貴重品袋の詐取を企て、自己の貴重品袋のほか、原告に頼まれたと称してその返還を申し入れ、その際、自分は幹事であり、本件貴重品袋の名義人は原告である旨述べ、その引換証は風呂場に落したがその番号は〇〇五三七三であるとして先にその番号を記載したメモ用紙を示したため、池田は、右番号と名義人が遠藤申立のとおりであり、又、前記宿泊についての遠藤の役割等から、遠藤が真実原告から本件貴重品袋受領を依頼された旨誤信して、遠藤に対し、同人の貴重品袋のほか本件貴重品袋を交付し、同人はまもなく被告ホテルから逃亡して本件貴重品袋在中の金一八二万円全部を遊興のため費消した事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二(一)  被告会社は、宿泊に際しての金品寄託行為は一個の独立した契約ではない旨主張する。

しかし、宿泊に際し大多数の泊り客が最も基本的なサービスとしてホテルに求めるのは、寝具の提供、入浴施設の提供等に限られ、金品の保管の重要性については、泊り客の個性及び宿泊目的等によって左右されると考えられ、又、宿泊の対価に比し寄託する金品の額の方が大きいことも多く、団体旅行などで宿泊の世話をした者が当然にその構成員の寄託した金品の世話をしうると解することは不合理であるから、宿泊に際しての金品の寄託は、宿泊とは一応別個の独立した契約であると解するのが相当であり、前記認定した原告の預け入れにより、原被告間に本件貴重品袋等の寄託契約が成立したものと認められる。

(二)  前記認定のとおり、原告は、右寄託契約の締結にあたって、本件貴重品袋の中味の種類及び価格を明告しなかったものであるから、商法第五九五条の規定により、右寄託契約に基いては、被告ホテルがその滅失による損害を賠償する責任を負わないことは明らかである。

したがって、被告が抗弁として主張する事実の判断をするまでもなく、原告のこの点の主張は理由がない。

(三)  そこで、次に、不法行為の成否について検討するに、

1  前記認定したとおり遠藤が客室で貴重品袋を係員に渡したのにかかわらず、原告はわざわざ帳場まで本件貴重品袋等を持参したこと、及び、一万円の日本銀行券一八二枚入りの大きさ、厚さ及び重さ等からいって、被告ホテル従業員としては大金がはいっている可能性のあることに当然気がつくべきであり、原告にその中味について質問するなどして容易に中味を知りえたと認めるのが相当である。

なお、この点に関し、証人小林福美、同池田嘉秀は、客によっては、自動車運転免許証、手帳、新聞紙などを貴重品袋に入れる者もあり、手に触れた感じだけでは現金と識別し難い旨述べ、又、証人小林はな子は、当時の感じでは財布と手帳と名刺入れのような感じであった旨述べるが、一万円の日本銀行券の束は、自動車運転免許証、手帳、新聞紙等とは大きさ、形状等も異なるから、右各証人の供述するほど識別が困難であるとは認め難い。

2  そうだとすれば、被告ホテル従業員としては、中味が大金であることを知り或いはその可能性を考慮したうえ、本件貴重品袋の取扱いについては慎重を期すべきであったところ、前記のように、池田は、遠藤が免責証券たる本件引換証を呈示しないのに、同人が申立てた本件貴重品袋の番号と名義人を実物と照合し、かつ、遠藤が幹事であるということだけで、遠藤にその受領権があると誤信したもので、貴重品袋の番号が予め記入されて客室に置いてあるような場合には、その番号は同室者等が知りうるものであり、番号を知っているからといって直ちに受領権限ありとはいえず、まして寄託の名義人は小人数の旅行では容易に知りうるもので何ら受領権限を推測させるものではなく、又、遠藤が宿泊等の世話をしたことも、金一八二万円という大金の受領に関してはほとんど関係がないと認めるのが相当であり、結局、池田としては遠藤の受領権限を十分に確認しないまま同人に本件貴重品袋を交付したもので、この点について、池田に過失があったと認められ、被告会社は、池田の使用者として、これによって原告がこうむった損害を賠償する責任がある。

3  原告が池田の右行為により金一八二万円の損害をこうむったことは、前記一(六)で認定したとおりである。

(四)  しかし、他方、原告としても、被告ホテル従業員が本件貴重品袋の取扱について特に慎重に配慮すべく、その内容を明確に被告ホテル従業員に知らせるべきであったのに、これを怠ったのであるから、本件事故の発生については原告にも過失があり、その負担すべき割合は二分の一とするのが相当であるから、被告会社は原告に対し金九一万円及びこれに対する損害発生の日の後である昭和四四年八月二七日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

なお、被告会社訴訟代理人は、原告が遠藤に本件引換証の番号を知らせたこと及び遠藤を代理人として宿泊契約を締結した点についても過失があった旨主張するが、原告が右番号を遠藤に知らせた事実については、本件全証拠によるもこれを認めるにたりない(遠藤が知った経過は、すでに認定したとおりである。)し、遠藤を代理人として宿泊契約を締結したことは、すでに述べたとおり、本件貴重品袋の返還に関しほとんど関係のないことであるから、この点についての被告会社訴訟代理人の主張は失当である。

三  よって、原告の被告会社に対する本訴請求は右認定の限度において理由があると認めてこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項第四項の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田辰雄 裁判官 三井哲夫 高野昭夫)

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